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2013年 01月 13日
永禄三年、時、五月。 駿河の国(静岡県)の大名、今川義元がワッサワッサと二万五千の大軍を引き連れて尾張の国にやってきた。 今川義元といえば、遠江、三河をも支配する名門中の名門。やがては京都に上って天下に号令しようというのが望みであった。尾張国を侵略し、信長みたいなペッペーはさっさと潰してあとはこき使ってやれと。 ところが我らがウルトラスーパーセクシーヒーロー信長が「うん」と言うわきゃない。 「ワシ、あんた嫌いだぎゃ。あんたの言うことなんて聞かせんよ。はよ、くたばりゃぁ」 これを聞いた今川義元。 「ガォーーーーゥ!」 っと吠えると放射火炎を撒き散らし、 「戦いじゃーーー! 桶狭間で待っとるぞ!」 かくして信長、人生最大の危機を迎えたのである。 今川軍二万五千VS信長軍たった二千ぽっち。これで信長、一体どうやって勝ったのか? 二万五千の今川軍にたった二千の軍勢でまともに戦ったら、あっという間にお陀仏である。こんな作戦では、後々、歴史の教科書に「やはり信長はアホであった」と書かれるのがオチである。ところが信長はアホではなかった。 細作(ジェームズ・ボンドみたいなスパイのこと)を送って今川軍の寝床を調べ、そこを襲ってやっつけたのである。 木下藤吉郎がひいてきた愛馬薄雲にまたがり、ハイドゥドゥハイドゥドゥ。 「出陣じゃぁ!目指すは今川、大将の首。いざ、桶狭間ぁ~~! 」 突然寝床を襲われた今川軍。あたふたあたふたと慌てるばかり。 「今川義元殿、お命頂戴!」 服部小平太に槍を突きつけられた義元は、ヤーッとばかりに太刀で槍を切り落としたが、そこに居合わせた 毛利新介にバッサリ首を斬り落とされた。 永禄三年五月十九日、かくして桶狭間の合戦は信長軍の勝利で幕を閉じたのである。 あの名門、あの大軍を引き連れた今川義元がおっ死んだ。信長軍、ヤンヤヤンヤの大喝采。うつけ者信長が、いよいよ天下にその名を轟かす時が来たのである。それからというもの、我らがウルトラスーパーセクシーヒーロー信長は、天下を取ろうと年がら年中戦ってばかりいた。 メッチャ強かった美濃国を取ってからメキメキと力を付け、刃向かうものは何であってもズッタズタ。比叡山延暦寺を焼き払い、室町幕府まで潰してしまった。 さて、お立会い! 我らがウルトラスーパーセクシーヒーローの前に強敵が現れた。武田勝頼。無敵の最強騎馬軍団。その数、一万五千なり! 天正三年梅雨の頃。今の暦で春、五月。風は穏やか。本日は晴天ナリ。長篠の合戦のはじまり、はじまりぃぃぃ! 信長軍、武田の軍団を木の柵でくい止めて、三千丁の鉄砲で撃ちまくる、撃ちまくる。 信長軍の連続射撃の前にさしもの最強騎馬軍団も成すすべなし。バッタバッタと倒れていった。 恐るべし。信長鉄砲隊。 信長の野望はとどまるところを知らず。天正四年、安土城を築き、天下統一に向かってレッツゴー! しかし、悲しいかな、スーパーヒーローといえども、寄る年波にはどうあがいても勝つことはできない。信長は四八歳の中年のおじさんになっていた。 天正十年六月二日の夜明け前。所は京都本能寺。 信長に代わって天下を取ろうとした明智光秀の軍に襲われ、信長の命ももはやこれまで。信長とラブラブだったと噂のある森蘭丸、力丸、坊丸もやられていく。 「ワシはもうだめだぎゃ。おあと、よろしく。わしゃ、そろそろ死ぬでよぉ」 と、言ったか言わぬかはわからぬが、我らがウルトラスーパーセクシーヒーロー、天下を望んだ信長の最後。燃え盛る本能寺にて、見事、腹かっさばいて果てたのであった。 (おしまい)********************************** (あとがき) これは、息子が小学校の五年か六年の頃(いまから15年くらい前)に書いた話です。今頃、古いノートが出てきたので、懐かしくって投稿しました。(ちょっとだけ修正。ほとんど当時のまま)。 今読み返すと、非常に穴だらけの、中途半端な話です。息子(現在26歳)に見せたら、 「信長の人生三分クッキングみたいな話だな」と言われました。 何がしたくて、こんな話を書いてたのか、よく覚えてないですが・・・ たぶん、息子の社会科のテストがあまりにも悪かったのが理由かもしれない。 面白い話を作れば、少しは歴史に興味を持つんじゃなかろうかと思って書いたんじゃなかったかな。 なんで、信長がウルトラスーパーセクシーヒーローになってるのか?? 覚えてないです。たぶん、その頃、信長のファンだったのかも。 このノートになぐり書きしてありました。
by prairycat
| 2013-01-13 15:29
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